メインビジュアルスライド:現場力を、決断力に。武藤ゆうだい 元NHK記者・33歳・一児の父

武藤ゆうだいの想い

 

記者として、コロナ禍の経済不安や医療体制の混乱、災害など多くの現場を歩き、「最後に人の命や暮らしを左右するのは政治判断だ」と痛感しました。

水と緑の自然、人のつながり、子育てへの熱意、そして東京へのアクセスに優れた経済の可能性。
松戸には、守り、伸ばしていきたい魅力がある。

でも、この街が抱える課題の多くは、市役所だけでは動かせない「県と市の壁」に阻まれています。
だからこそ、私は県政に挑む。
松戸に密着し、足で稼いだ現場の声を、県政のど真ん中に届ける。

声にならない声を政治につなぐ「つなぐ政治」で、
松戸を「安心して子育てでき、挑戦できる街」にしていきます。

松戸リニューアルへの4つの柱

 

働いて、育てて、支える。
当たり前が、
もう苦しくない
社会へ。

〜日本一「子どもに合わせる」教育県へ〜

家計の負担を「ゼロ」にし、子どもの可能性を最大化します。

  • 家計を助ける「3つのゼロ」を所得制限なしで実現!
    • 出産費用ゼロ:出産・不妊治療・産後ケア費の完全無償化。
    • 保育料ゼロ:0〜2歳児の保育料を県独自予算で完全無償化。
    • 医療費ゼロ:未就学児の医療費を県内全域で完全無償化。
  • 学区の撤廃と教育改革
    • 「学区制度」を廃止し、県立・市立高校の垣根を越えた相互開放を主導。習い事等に使える「子育てバウチャー(利用券)」も導入し、親が教育を選べる自由を取り戻します。

〜松戸のポテンシャルを解放し、稼げる街へ〜

松戸のゴミ処理問題を、千葉県が総力支援。市民生活の根幹である経済インフラ整備も加速させます。

  • 先端産業の誘致(データセンター等)
    • 北千葉道路沿線等にIT企業を戦略的に誘致。地元に高賃金な雇用を創出し、現役世代の「手取り」を増やします。
  • 松戸のゴミ処理問題を県が総力支援
    • 焼却炉の老朽化によるリスクをゼロにするため、新工場の早期建設に向けた県による認可プロセスの加速化と広域的な受託調整を県議会から強力に主導します。

〜命を守る「デジタル防災県」へ〜

デジタル防災を加速させ、松戸の治安を守ります。

  • マイナンバーを活用した「次世代型防災DX」
    • 避難所の状況を瞬時に把握。持病など、個々のニーズに合わせた「プッシュ型支援」を県内全域で構築します。
  • 江戸川流域の水害対策・北千葉道路の整備
    • 堤防強化や災害時の命のルートとなる「北千葉道路(国道464号)」の早期整備を県から強力に働きかけます。

〜住み慣れた街で、誰も取り残さない安心を〜

「病院」と「移動」の不安を解消し、一生涯安心して暮らせる松戸をつくります。

  • 松戸市立総合医療センターへの県支援拡充
    • 適切な財政支援を県や近隣自治体に要請。市の財政負担を軽減しながら、高度な医療体制を守り抜きます。
  • 移動・買い物弱者対策(コミュニティバス等)の拡充
    • デマンド型交通やコミュニティバスへの県補助を拡充し、通院や買い物に困らない移動手段を確保します。

プロフィール

 

プロフィール写真

武藤ゆうだい

むとう雄大

現場の声で、
松戸を変える。

社会人になるまで千葉県で3人兄弟の真ん中。
家族構成は妻と子ども1人。
新松戸南在住で、家の前の公園がお気に入り。

性格
興味を持ったら、考えるより足がまず動くタイプ。好奇心強め。面白そう!とすぐに飛び込んでしまう傾向あり。人と触れ合っていることが大好きで、飲み会やお酒も好き。
趣味
スポーツ(特に野球)、旅行、子どもと遊ぶ
モットー
「思い立ったら即行動」
座右の銘
「人事を尽くして天命を待つ」
得意なこと
みんなの意見を聞いてまとめること。決断するまでは、聞くこと多め。
苦手なこと
料理。レシピがわからず悪戦苦闘。ただし、新米パパとして洗濯、掃除、子守など家事にも積極的に挑戦中。

略歴

1992年
5月24日生まれ(34歳)/松戸市新松戸南在住
2011年
3月 市川高等学校卒業
2016年
9月 早稲田大学政治経済学部卒業
2017年
4月 日本放送協会(NHK)記者
山形放送局、仙台放送局、ニュースメディア部(東京)
2025年
3月〜 (株)POTETO Media
2026年
1月 千葉第6区(松戸市)にて国民民主党公認の衆議院議員候補に
2月 第51回衆議院議員総選挙にて41,081票を賜るも、落選

エピソード

小学校入学時の武藤ゆうだい

小学校でも活発さは相変わらず。
好きな時間は体育と給食。
クラスや行事でリーダーを任されることも多く、自分が頑張ることで周りが笑顔になることにやりがいを感じるようになる。
小6では運動会の応援団長に。背の高い男子が務めるのが定番の役で、小柄な私はブカブカの学ランを着ていた。

バッティングする中学校時代の武藤ゆうだい

「受験してみたい」と突然言い出し、小4から津田沼の市進学院に電車で通い、中学受験に挑戦。
市川中高に進学後は、勉強よりも小3から続けていた野球に夢中になる。
高校では部活のキャプテンを務め、仲間をまとめながら練習に打ち込む日々。
中学では市内大会優勝、高校では軟式野球部で県優勝・南関東大会準優勝を経験し、努力を積み重ねることと、チームで勝つ喜びを学ぶ。
中学の頃に所属した「市川市選抜チーム」では、松戸市選抜チームが最大のライバルで、松戸六実中など強いチームに刺激を受けてチームも自分も成長しました!

被災地で学習支援ボランティアをする武藤ゆうだい

一浪を経て早稲田大学に入学。
浪人中に東日本大震災が発生し、何もできなかった悔しさから被災地ボランティアに参加。
そこで出会った福島の高校生の声に触れ、「この現実を伝える側に立ちたい」と記者の仕事を志すようになる。
一方で世界にも目を向け、在学中に約40カ国を訪問。
1年時に北京大学へ短期留学、3年時には米コロラド州へ1年間留学し、多様な価値観の中で視野を広げた。

現場で取材中の武藤ゆうだい

NHKの記者となり、「震災や減災に関わる報道」がしたいと東北を希望。希望が叶って、山形放送局に配属された。
山形では、雪国の洗礼を浴びながら新人記者の定番、サツ回り(警察取材)や地域取材に没頭。
初めてのテレビ出演では、緊張のあまり顔が引きつるのを感じ、「平常心を保たなければ」と意識しすぎた結果、「事件を笑顔で語るな」と叱られるなど、様々な失敗を繰り広げる。
そんな中でも、学生時代から掲げていた「見えない声を、見えるようにする」という信念だけは、変わらなかった。

記者として最初に自ら企画したテーマは、「中高年のひきこもり」。
しかし現実は甘くなく、10人以上に取材を断られ、ようやく許可をもらえてもドタキャンが続き、撮影直前に断られることもあった。
それでも、「ここで諦めたら、何も伝えられない。あと1回だけ粘ってみよう」と思い、締め切り間近に数時間にわたる交渉の末、取材が実現。
そのリポートは全国放送につながり、「声にならない声を伝えることが、社会を少し動かすこともある」という、記者としての原点となる。

4年目には震災取材の中心地、仙台放送局に異動し、「被災地のいま」を軸に取材を進める。
一方で、コロナや能登半島地震など大きな災害や危機が相次いで発生。
行政担当をしている中で、「行政職員の本音こそ、最も見えにくい声の1つなのではないか」と感じ、能登半島地震の行政職員の奮闘とあわせて番組を企画。
しかし、そこでも取材は難航。最終的にはアポイントもないまま能登町に入り込み、現地で直接交渉を重ね、東日本大震災の教訓と重ね合わせた番組として放送することができた。(2024年3月 ギャラクシー賞月間賞受賞)

一方で、コロナ禍や災害取材などを通じて「最後に人の命や暮らしを左右するのは、政治判断だ」という現実を感じるようになる。
緊急時でも機能する社会を整え、1人でも多くの命を救い、子どもたちが希望を持てる社会をつくりたい。
そのためには、「伝えて、あとは誰かに委ねる」立場ではなく、「決断の最後まで関わる側」に回りたい。

その思いで政治を志し、NHKを卒業して政治・行政分野専門の広告会社でも経験を積んで、政治に挑戦することを決意。政治は全くの未経験。でも、現場力に足を運んで課題に耳を傾け、政治に届けられる「つなぐ政治」ができる政治家を目指し、松戸の未来のために邁進します!